0903-04 日本司法福祉学会@関西福祉科学大学

行ってきました。
大学の友達が、同期になるといううれしい報告つき!
ともにがんばろうね。


シンポ・ミニ講演・分科会・自由研究発表という二日間。


モデルが必要であること。
最初の出会いがないから孤立してしまうこと。
施設と外界のギャップを埋めるものがない。
居場所を求め続けていること。
出会いがあれば、そこから派生していくこと。
厳罰の意味がないこと。
騙されている、と思う事があること。
言えない辛さ、しんどさを抱えていること。


虐待を受けた子供たちが非行化するとき、とは?

そういったことにものすごく興味をもった。
虐待されても非行化する子供としない子供がいる。
ただ、非行少年の多くが被虐待児であることは確か。
つまり、何らかの相関があって、今があるということ。

再犯率を見ると、やはり施設処遇の限界を感じる。
もちろん再犯していなくても、しんどさをぬぐいきれないままに
成長していっている子供もいる。

私自身、母親に怒鳴られる、手をあげられることがしょっちゅうで、
失敗がだんだん許されなくなり、機嫌をとり、陰でイタズラをする、
そんな時もあった。
わだかまりは完全に解消できずに、ずーっとしんどかった。
ご飯もあって、清潔に暮らして、いい学校に行かせてもらって。
これ以上、まったく望むものもないと思う。
だから虐待ではないけれど、虐待された子供の心理に、共感できることもあった。


そんなことで苦しんできた私が、
「わたしはわたし」と、すうっと気持ちが軽くなったのはごく最近。
原因はいろいろあったんだけど、モラトリアムを脱して、
誰かに必要とされることを積極的に求めなくてもよくなった。
他人に過適応しなくてもよくなった。


そうなっていくには、すごい時間と環境と経験と出会いが必要だった。
だから、子供たちがしんどくなって逃げたくなる気持ちや、
どーせいいやん、と投げやりになる気持ちがものすごくわかる。
それをみんなはやってるから、じゃ済まされない。

わたしは、本当に中学くらいにもっと反抗すればよかった、と思う。
親を、先生を、周囲の人を困らせちゃいけない、
そんな風にいい子ぶりすぎていたと思う。
ただ、逆に周りの人が悲しむだろうな、だからがんばろう、
そういう気持ちが生まれるように育ててもらってなかったら。
きっと私も非行少年になってただろうな。
そう、今は思う。


自分にできることはなんだろう?