死んでしまうということはとても恐ろしい。明日を真っ当に生きることの次に恐ろしい。


6/19という文字を見るたびになぜこんなにそわそわするんだろう。って思って。
あ、って気付いたときにはもう悲しくて某然としてうごけなくなってしまった。
音楽が世界を救うなんてバカバカしい戯言って言われると思ってる。No Music,No Lifeなんてこんなクソみたいな言葉ないぜって思ってる。でも、少なくともわたしは、彼らには何度でも救われるって思った、一年前の今日。きっとこれから何年でも、この日が近づくとそわそわしてあの日のことを、あの日のFireloopを思うだろうな、と思った。
革命だと思ったあの日のことを。

掲示板に書いてあったことが本当であろうと嘘であろうと、あの時信じてた気持ちまで蔑ろにはしたくなくって、あの時生きててよかったって、こころから嘘偽りなく思ったことを忘れたくなくて。今だって、イヤフォンから流れる音で涙がこぼれないように必死なわたしがいる。少なくとも、わたしが観た彼は生きるのに必死で負のエネルギーを貪ってただギターにぶつけて歌ってた。そんな姿にやっぱり救われてる、今でも。

いつかまたこんなに、生きるエネルギーで触れるバンドがあらわれるのかな。いや、あらわれたとしても、やっぱりわたしにとっては唯一無二だろうな、きっと一生。


よく、「バンドはいつ見られるようになるかわかんないから、行けるうちに行っとけ」みたいなことを聞く。フジの志村が死んでから、より一層みんな口を揃えて言う。

でも、みんなは「いつ観られるようになるかわかんない」バンドだからライブを観にいくのか?それは違うんじゃないか?わたしが観に行ってるバンドは「いつでも最高のライブをしてくれる」って思ってるし、いつか観られなくなるからいっとこうなんて、絶対に思わない。ただ観にいきたいから行く。ライブってそういうもんじゃないのか?といつも思う。

彼らだって、新譜の曲を全曲ライブで観たかったっていう残念さはあるけど、別にもっと観に行けばよかったとかそういう後悔はない。観に行く度にいつでも、最高のライブを観せてくれたから。そのたび死ぬほどの生きるエネルギーと幸福をもらったと思う。

ようやく掴んだ、幸福のしっぽ。わたしにとってのしっぽ。いつまででも、ここにあるって、ずっと思ってる。


常に愛を
常に希望を
常に涙を
常に笑顔を

常に音楽を
常にビートを
常にうたを
常に届くように