「みんな辛いんだから、がんばれ」

ニュースより。
福島県相馬市の酪農家が自殺。

原発さえなければっていうメッセージを残して。

出荷停止、見えない補償、乳牛をすべて手放し、両親からうけついだ酪農をたたみ、
生きる気力をだせという方がむりだ。

大きくとりあげられるようになって気になって調べてみたけど。


2011年の5月までの自殺者数
http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/H23_tsukibetsujisatsusya.pdf

中でも、福島県の自殺者数は増える一方。
(3月41人→4月42人→5月68人)
原発の影響で人口が3分の1程度まで減っているのに、自殺者は増えてるなんて。
日本全体では(3月2,444人→4月2,667名人→5月3,281人)

ツイッターを見ててもあちらこちらで人身事故が起こって、
自分自身も3回ほど人身事故に遭遇したりしてて。
これはもはや地震災と関係なんていえない。


つくづく、日本ってなんでこういう時にさえ、人を不幸にしてしまう国なんだろう。
日本の幸福度は、少なくとも私が今まで行った国の中で一番低いとおもう。
あせくせ働いて、将来にも何もかもに不安ばかり覚えて、
でも現状を変えることに対しては、もうあきらめてしまってる。

管さんがやめて、じゃあ次誰がやったら、今度こそ日本はうまくいくの?
誰が被災地にいって現状目の当たりにしてちょっとでも支援しようとしてるの?

いつになったら、安心できるの?

いまだって、放射能の問題が新たにでてきたり、実は作業やめてましたとか、
そういう国民に背いたことばかりするから、こういう緊急事態に対応できないんだよ。
なんかやろうってなっても、国民がついてきてくれないんだよ。

日本の国民性はおかしい。
がまんして、がんばって、がまんして、あきらめて、それがあたりまえになってる。
今回の自殺した酪農家に対してだって、きっと「他の人はがんばってるのに」
て思っている人もいるだろうね。

でも、そうじゃないと思う。
普通じゃない事態なんだから、大の大人だって、普通にいることがどれだけつらいか。
それを自己責任論で片付けるのは違うんじゃないかな。




わたしは今まで、そういう想いで生きてきた節がある。
辛いことがあっても、しんどいなって思っても、泣きたくなっても、
もっと頑張ってるひとだっているんだから、弱音はいちゃいけないってずっと思ってた。
でもそれはやっぱりすごい辛くて、ずっと心に枷をかしたままだ。

もう不幸を生み出さないでほしいと切に思う。
子供が親を選べないように、地震にあうなんて、誰のせいでもないんだもの。








ニュースをみながら、波多野さんのことばを思い出してた。
強くありたいと思うと同時に、弱くてもいいんだって思ったことば。
きっとずっと音楽があってよかったって思えることば。



「みんな辛いんだから、がんばれ」「生きたくても生きられない人もいるんだから」
って言われても、辛い気持ちは消えないじゃないですか。
そういう風に感じてる人が安らげたらいいと思って、
音楽をやっているところはあると思います。(音楽と人/2009.11)