いわさきちひろ美術館
朝から面接でコテンパンにされ、こなくそ!と気力を振り絞っていってきました。
ずうううーっと行きたいと思ってて、やっと行けた。
渋谷に荷物預けて、上井草までがたごと。
知らない路線に乗るのはやっぱりわくわくして、それがあんまり人の乗ってない静かなローカル線だとかもう最高。
間違って下井草で降りる→気づく→何故か鷺ノ宮まで戻る→気づく→上井草
という無駄なドジっこぶりを発揮し到着。
上井草を降りたとこがコレ!
ただ、夕風じゃなく台風だったけども笑
住宅街のなかに、静かにそれはたたずんでました。
今期はちひろの書いたアンデルセンの世界。親指姫、赤い靴、人魚姫などの絵の挿絵などを見て回る。そこにはデンマーク、アンデルセンの故郷に行ったちひろさんのスケッチなどもあった。
常設展では初見となるちひろさんの油絵も!水彩しか今まで見たことがなかったからものすごく新鮮だった。全部で5枚しか残されていない。
子どもの部屋では色んな絵本を見た。おふろでちゃぷちゃぷとか家にある懐かしい絵本もあった。小さい時はそんなこと考えてなかったけど、このじんわりとにじみ出る色合いから感じられる優しさとか、強さとか、はかなさとか、
そういうものに触れながら生きてこれたんだなあとか、いいもの与えてもらったなあとか、やっぱり絵本がすきだなあ、と思った。
他の絵本作家には真似できないよねえ、って思う、あの水彩の雰囲気がすきですきでたまらなくって、
絵が静かに息をしてるようにさえ感じる。
とくに惹かれたのは赤い靴の絵。
小さい頃にも読んだけど、赤い靴を履いておいのりにいってしまったカーレンが、やがて踊りをやめられなくなり、足を切り落としてもなお、靴だけが踊り続けるお話。
子どもながらに恐怖を感じた絵本だったし、教会の前で飛び跳ねる赤い靴の挿絵がありありと印象に残っている。
小休憩ではキッシュを食べて庭を眺めた。
絵本作家として多忙を極めながらも一人の母、または妻として一生をつとめたちひろさんは、庭に花をたくさん植えていたらしい。
それから、企画展示の子どもの椅子展。
いろんなやわらかい椅子が並んでいて、思わずため息が零れた。
中央には、窓際のトットちゃんの座った椅子はどんなだろう?と建築家が頭をひねって作りだした作品が並んでいた。
椅子展を見にきたときだれもいなくて、この部屋でずっとぼーっとしているじかんが、これがしあわせのひとつなのだなあと、このためにみんな、家具や空間にこだわるのだなあ、と思った。
しあわせをはこぶいすたち。
最後にちひろさんのアトリエを見学。
『若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるせなかったこともありました。いまわたしはちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。
大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。』
これが、ずっと、頭のなかに残ってる。
大人になるってなんだろう。
21歳のわたしは、おとな?こども?
迷走するアイデンティティの中で、わたしは明日の行方もわからないままに一歩を踏み出していく。
だいじな人も、だいじなものも、たくさんそれなりにできたけど、わたしの方から愛していけるのかな。苦労が多いとすぐ暴走するわたしは、まだまだこどもで、誰かに愛されるだけのものをもてていないなあ。なんて思ったりする。